本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「おわかりになりませんか、この気持ち」――ジョン・バース、サリンジャー

 ジョン・バースの「旅路の果て」に出てくるジェイコブ・ホーナーは、好きな人物像だ。自殺を決意した男の物語「フローティング・オペラ」のすぐあとに書かれた、生きているはずでもなかったようなディレッタント。世間と折り合いをつけて生きてはいるのだが、同時に世間からはとうに降りているかのような振る舞い。どす黒い悪罵と嘲弄の持ち主ではあるのだが、それはいわば彼の人生に必然的にもたらされたものであり、彼が意志的に選んでそのように表明をするわけでもなく、社交のなかにあっても人と相渡ることのなかに適切な弾力を、覚えることのなくなってしまった英文法教師。
 ふつう死を自覚をして生きる、というと、ある程度の年輪を重ねた者が迫りくる死との対話や、妥協の仕方や、その大きな死生観のごときものをもって残りの人生を、生きる、というほうにウェイトが置かれているのだったが、ジェイコブ・ホーナーの場合、あらゆる事象が死の影に染め抜かれてしまったかのようだ。

「ホーナーさんはジョンズ・ホプキンズ大学の出身ですね」
「はい」
 他の委員たちはジョーがみごとに本筋を引き出したので満足そうにうなずいた。モーガンという男はたいしたものだ。こんな男はこんな仲間と長づきあいをする人間じゃあるまい。みんな真剣な目でぼくを見た。
「いやきみ、『はい』なんて、そんなにかしこまらないで!」とカーター博士が文句をつけた。「こういう田舎じゃ形式は無用です」
「そうじゃよ、そのとおり!」ショット博士もにこやかに同意した。
 およそ二十分にわたって順序もなく質問が続いた――大学院では何を勉強したか、とか、教師の経験は、とか。教師経験はボールチモアで断続的に家庭教師をやったこととジョンズ・ホプキンズ大学で短期間夜学を教えた以外に何もなかった。
「どうして教職にもどる気になったんです?」とカーター博士がきく。「しばらく教師はやめていたようだが」
 ぼくは肩をすくめてみせた。「おわかりになりませんか、この気持ち。ほかのことをやってみるとどうも自分にはピッタリこないんです」
 みんななるほどという顔をした。
「それにまた」と何気ない顔でつけたした――「ぼくの医者が教職にもどることを勧めたんです。ぼくは教えるのが上手だし、それをやるのが一番向いているって」
 うまい表現じゃないか。試験官たちが乗ってきているのを見て、ぼくは一席ぶった。
「どうも、ぼくは、ふつうの仕事には満足しないんです。なんだか、どうも――どうもあほらしいんですね、ただ金のために働くってことは。それは――なんと言うか、決まり文句は使いたくないんですが、じっさいの話、教職以外の仕事は報いられるところがないと思うんです。わかってもらえますか?」
 わかる、わかる、という顔だ。
 ジョン・バース「旅路の果て」志村正雄訳

 この主人公は世渡りをして出世をすることに、躍起になっているわけではない。むしろいかに出世をしようが、どのような職にありついていようが、根本的なことがらについての大きな変化はないと、十全に知り尽くしている。どのような職にも意味はないし、それを求めるだけ無駄なのだという、シニシズムでもない、灰色の認識と、そしていかにしろ職には就かなければならないのだという諦念とがすべてを染め抜いている。それゆえどのような者も人生を揺さぶるような他者たりえず、すべてを知り尽くしたプロメテウス的な、その灰色の地平線上に、配置されていてしまう。コメディカルなキャンパスものでありながら、ディヴッド・ロッジのように形式や設定に凝るのではなく、むしろ死の匂いを漂わせたポストモダニズム的な人物像をシャープな手続きで直視している、という風合いに、作品としては近しい。
 ではこのような地平からは、

「ああ、あなたに会えて嬉しい!」、タクシーが動き出したときにフラニーはそう言った。「会えなくてすっごく淋しかった」。その言葉を口にしたとたん、それがぜんぜん本心でないことがわかった。そしてこれも罪悪感からレーンの手を握り、指を温かくぴったり彼の指に絡めた。

 J.D.サリンジャーフラニーとズーイ村上春樹

 という学生であり恋人同士である、二人のすれ違いをただただ、厭世的なまでに執拗に描く「フラニー」の試みは、旧弊なものであっただろうか? 自意識をもてあました学生にサリンジャーは同化をし、「ライ麦畑」と地続きの、いっときの青春の流れをそこに捉えていただけであったのだろうか? どうしてもそうとは思われない。むしろジェイコブ・ホーナーは青春のなかにあっても青春の終わりというかたちでしか青春をとらええなかったであろうし、サリンジャーの登場人物たちは、たとえ周りにどんな他者がおらずとも、それを理解しえない人間として捉えて絶望をしたり、毒々しく痛ましい目つきで見据えておらざるをえなかったはずだ。
 もはや青春を感受できなくなった、それが決定論的なものとなった、どうあれ脅威となりうるほどの他者が現れず、それがありえない時、青春とともにあったはずの成長のごときものもまたなおざりにされ、小児退行的なポストモダニズムの世界が、拓けていった――時事になぞらえていえば、そのようになるであろうが、それでもなお、他者は他者として、これからも、小説のなかに現われ続け、ただ作中の人物のみならず書き手たちのことをも、脅かし続けるであろう。どうであれ、小説とはそのような歴史を担ってきたのである。