本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「もともとぼくは働く意欲も、社会の有用な一員になりたいという意欲も持たない」――ヘンリー・ミラー、ジャン・ジュネ

 子供のころから悪の文学が好きだった。
 私にとって、書物を開くことの快楽とは、そのまま悪の快楽と未だ地続きに繋がっているのだったかもしれない。私は親からも教員からも虐待を受けて育ったので、綺麗事ばかりの学校での道徳や倫理の授業のなかに、正しさなどというものの一分も認められないことをよく知っていたし、悪の渦中からしか正しさ、のようなものは生まれ得ないと、よく自覚をしていた、そこに鋭敏であったとおもう。大なり小なりのなにほどかの悪事を働く、悪事を働いたのだという反省によってでしか、人間ひとりに正しさなぞというものは土台あり得なかったのではなかったか。

 たとえ万一ぼくに新規まき直しができたとしても、何の役にも立つまい。なぜなら、もともとぼくは働く意欲も、社会の有用な一員になりたいという意欲も持たないからだ。ぼくはただじっとそこにすわり、通り向こうの建物を見つめていた。それはこの通りに並んだ他のべての建物と同様、醜く愚劣であるばかりか、つくづくと眺めているうち、にわかにばかばかしく思えてきた。雨露をしのぐ場所を、わざわざあんなふうに作るとは、ぼくにはどうしても狂気の沙汰としか思えなかった。いや、この街自体、この街に見られるものすべて、下水道であれ、高架電車、自動販売機、新聞、電話、警官、ドアの握り、安宿、映写幕、トイレットペーパーであれ、あらゆるものが狂気の極致に思えた。どれもこれも、いっそ存在せぬほうがよかったものばかりだった――なかったところでだれの損失にもならず、むしろそのほうが全宇宙のためになったかもしれないのだ。
ヘンリー・ミラー「南回帰線」河野一郎

 実際、ヘンリー・ミラーの小説ほど、小説の自由を謳歌している小説はなかったようにも思われる。ダダイズムが廃れ、フロイティズムを女々しく援用したような小説が数多書かれて、そしてまたそれらがクリティークな批判にかけられようとも、歴史があの手この手の新たなる戦争や紛争に汚れ、試練にかけられようとも、この奔流のように猛々しく続くエクリチュールは、紙を開けばそこに、こだまし続けている。アナロジーの濫用によって独特の抽象度を獲得しながら突き進み、文明批判を超えて宇宙的なビジョンへと繋がってゆく書き言葉。

 ミカエリスがカトヴィーツェの刑務所から出てくると、わたしはまた彼と一緒になった。わたしはその一カ月前からすでに自由の身になっていた。そのあいだ、私は近在の村々で些細なものを掠め取って生活し、夜は町の少し外にある公園を宿にしていた。それは夏だった。その公園には、わたしのほかにも幾人かならず者がやってきて、木陰や、杉の下枝に援護され、芝生の上で眠っていた。夜が明けると、花盛りの木叢の中から泥棒がのそのそと起き出し、若い乞食が朝陽に向って欠伸をし、ほかの何人かは模擬ギリシア式の寺院の石段の上で蝨を取っていた。
ジャン・ジュネ泥棒日記朝吹三吉

 すでにこの短い引用のうちに、ジュネの面目が躍如している文章であっただろう。ただみっともないだけの筈の情景が、自然描写の文藻の豊かさゆえに、なぜだか美しいそれへと転換させられ、醜いことが美しいことなのだとする価値観の顛倒に、読者はさらされる。その顛倒はまた盗みや犯罪といった悪事こそが真善美の善の側に就き、よこしまな企てこそが真理の側に就くのだとする、およそ小説でしか展開されえぬ世界観の開示となっている。ごく雑駁にいって、プルーストは過ぎ去って行った優雅な歴史の、最後の一滴に至るまでを際限なく絞り尽くそうとして、いわばあの長大な小説を書いたわけであったが、その模倣等を経てたどり着いたジュネのエクリチュールもまた、その優雅さ、かろうじて残された優雅に、どっぷりと悪を浸しているかの感がある。
 当然、ヘンリー・ミラーもジュネもいない世界というのは、しごく退屈なものだ。今私たちはそれを目の当たりにしているのだともいえただろう。加速された日常のなかで、時間がずたずたに切り裂かれ、エレガンスの欠片もなくなって、かくなる悪は滅び、インターネット上でいたって慎ましやかで貧相な悪を「炎上」させる性質の、凡庸な正義こそが悪であるかのような世界。ここに、はたしてかつて夢見られ昇華されていた「自由」は可能であっただろうか。