本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「ホントのことってのと、どうしようもないことっての」――末井昭「素敵なダイナマイトスキャンダル」グ スーヨン「偶然にも最悪な少年」

 いまとなってはどうでもいいことだが、私は統合失調症の母親と、アル中の父親のもとに育てられ、小学生時代の教員からは心身にわたる虐待を受けて育った。そのような私は、傷を語ることにはいつでも困難が伴う、とよく知ってきたつもりの私であった。

 芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった。
 最初は派手なものがいいと思って、僕の体験の中で一番派手なものを書いているのであるが、要するに僕のお母さんは、爆発して死んでしまったのである。と言っても、別にお母さんが爆発物であったわけではない。自慢するわけじゃないが、お母さんはれっきとした人間だった。
 正確に言うと、僕のお母さんと近所の男の人が抱き合って、その間にダイナマイトを差し込み火を付けたのであった。ドカンという爆発音とともに、二人はバラバラになって死んでしまった。
 世間では、こういうことを心中というのである。心中にもいろんな方法があって、刃物で差し違えたりする壮絶なものから、薬を飲んだり首吊りをしたりする陰湿なもの、あるいは最近一家心中でよく使われる自動車の排気ガスをホースで車の中に引き込むという面倒なものや、ビルの屋上から飛び降りたり、海や火山に飛び込んだりするダイビング型心中などもあるのだが、ダイナマイト心中というのは一番派手である。
末井昭素敵なダイナマイトスキャンダル

 あまり読んだことのないような、珍奇な感覚をもたらす文章であるのは、ダイナマイト心中という凄惨で聞いたこともないできごとも去ることながら、それを語ること、幾度も語ってきたことをあらためて書いて、残してしまうこと、その事態に際して立ち現れる、読み手を楽しませなければ、どうにもならないのだという意思がここには働きかけ、結果として、できごとの陰湿さとは対照の、乾いた、あっけらかんとした調子に文章全体がみちているためだ。心の傷や、それをもたらした出来事なるものは、幾ら自己なぞというものを客観視しようが、タマネギの皮のように次からつぎへと新しい自己憐憫か、未練か、語り尽くせぬものが現われ出でて、書くことの困難を迫るのであったが、ここではそれが、いとも容易いふうに、この文章独特のロジックのうちに昇華をされている。
 傷とは一体なんであったのか。だれしもが傷つき生きているのであったが、ひとは自らの傷についてはそれを特別視をする、時としてせざるを得ないのであったし、そのようなかたちでしか自らの正しさを担保できない事態というのも、あるだろう――凄惨な事故、事件の被害者は、自らの傷つきを傷つきであるとしなければ、そもそも加害者の悪を悪と正しく認識ができなかったはずだ。だが一方で、そもそも、ことは善悪の構図に矮小化をしていい話であったのか。端的にいって、アウシュビッツのあとの証言をめぐる問題や(「ショアー」のような映画にそれは呈示されている)、アウシュビッツについて、傷について、出来事について、なにかを表現しようとすることそのものが「野蛮」なのであるといった批判(シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」に対するアドルノの批判が端緒となった「アウシュビッツの後に叙情詩を書くことは野蛮である」)は、いざ個人の傷を語ること、書くこと、という地平を前にした時に、ガス室が用意されるより遙かに古来より用意されていた、表現の臨界点のごときものであったのではなかったか。

 語られた傷と語られない傷の根底に共通してあるものは何かと言えば、「悲しみ」であろう。この漢字「悲」の語源(高橋・伊東,2011)は、「非」には羽根が左右反対に開いたあり様が表わされ、両方に割れるという意味である。それが「非+心」となって、心が裂けること、胸が裂けるような切ない感じが「悲しみ」の本義である。トラウマ体験によって生じた傷について、それを語られたとしても違った苦しみを味わわねばならない。語られる傷と語られない傷という両者の複雑な思いが真っ向から対立し、引き裂かれる状態になっているのがまさに「悲しみ」に他ならない。
橋下和明「人はみな傷ついている――“悲しみ”と“哀しみ”の交錯」『臨床心理学115』

 すくなくとも、さまざまな「野蛮」な装置によって構成されているかのごとき「現代」において、なにごとかを語り、書く営みはたしかに未だ野蛮かもしれなかったが、しかし、それでもなお傷を語ることが野蛮である、とだれに誹ることができたであろう。エリ・ヴィーゼル「夜」や、ポランスキーの「戦場のピアニスト」は、記念碑的な大傑作ではあった。だがしかし、いまとなっては例外的な作品ではなく、多くのサバイバーが彼らのように、表現をするように、傷と向かい合い時として、その争闘を経て、生き続けているのである。
 末井昭のそれのように、周到ではない。寧ろ荒っぽいのであるが、グ スーヨンの文章もまた、傷について語る文章のなかでも、雄弁なそれであるかにみえる。

 三年生の時だったか、いつものように泣いていたのがバレないように涙を拭いて家に帰ると、玄関先にお母さんと姉ちゃんが、怖い顔をして座っていた。
 ボクがいじめられて泣いているのを偶然通りかかった姉ちゃんが目撃して、お母さんにチクッたらしい。
「ちょっとアンタ、バカなんじゃないのっ」
 姉ちゃんもお母さんと同じようにハンパじゃなく強かった。
「なにビービー泣いてんのよ。泣いてばっかいないで、やり返しなさいよ」
「ナナコはちょっと黙ってなさい。ヒデノリねぇ、いったいなんて言われて、いじめられてる訳?」
「なんでもない」
「なんでもないじゃないでしょっ、理由によってはお母さんが黙っちゃいないからね」
「どうせ朝鮮人朝鮮人、朝鮮に帰れって言われるんでしょ。アタシだって何百回も言われてるから知ってるわよ。朝鮮人もキライだけど、ガタガタ言う日本人はもっともキライだ」
「アンタはちょっと黙ってなさいって。そうなの? ヒデノリ」
「そうかも」
朝鮮人って言われてどうして泣くの?」
「分かんない」
「アンタはさぁ、朝鮮人なのよ。そうでしょ?」
「韓国人と朝鮮人って違うんだろ?」
「ホントの意味じゃ違うけど、日本人にとっちゃ同じことなのよ。今そんなこと関係ないでしょ」
「ボクには関係あるよ」
 パチンッ
 ほっぺたを叩かれた。
「屁理屈こねるんじゃないのっ。天地がひっくり返ったってアンタが朝鮮人なのは変わんないんだからね」
帰化したら変わるよ」
 パチンッ
 もう一発叩かれた。
 痛くない。
「いい加減にしなさいよ。アンタを殺してアタシも死ぬ。どーせアタシが産んだんだからね。最初っから産まれなかったと思えばいいんだから」
 それこそ屁理屈で無茶苦茶だと思うんだけどなぁ、けど、なんだか迫力があるんで説得されてしまった。
「お母さんが死ぬことはない」
「それがイヤだったら、自分で死になさい」
ソーダッ、死ね死ね」
 パチンッ
 今度は姉ちゃんがほっぺたを叩かれた。
「イターイッ、なんでアタシが叩かれんのよ」
「アンタは黙ってなさいって言ったでしょっ」
 今度はボク。
「アンタが韓国人なのはホントのことでしょうが、ホントのこと言われて何が悲しいの? どこが悔しいの? ホントの事言われて、なにがそんなに恥ずかしいの?」
「分かんない」
「じゃぁ、生まれつき目が見えない人とか、手足がない人とかは、自分でどうしょうもない人たちは、恥ずかしいのか? ええっ? その人たちは恥ずかしい人なの? 悲しがったり、恥ずかしがったりしてちゃ生きていけないでしょ」
「じゃぁなんでいじめられんの?」
「いじめる方が悪い。そんな奴らは構わないからぶっ飛ばしてやんなさい。お母さんが許す」
 その時以来、ボクはいじめっ子をぶっ飛ばすのを許された。
 そして、ホントのことってのと、どうしようもないことってのが同義語だって事も知った。
グ スーヨン偶然にも最悪な少年

 傷を書きながらも傷に頓着をしているわけではない、今ここにある言葉を、彼の文章は性急に書きつけ続ける。たとい、昔こういうことがあって……と回顧をする文章のなかであっても、彼は自身の傷のまわりを周回し、堂々巡りに陥るのではなく、前へと一直線に突き進んでいる。「パチンッ」と叩かれ、およそほかにそうありようもない、行き場を失った認識へとたどりつく。傷から離れ、動き出さなければ、傷とはそもそも語られ得ぬ代物であったのかもしれない。このテクストからは、傷を傷として語らないこと、語らないと決めた書き手が今そこにいる風合いから、読み手は書き手のぼろぼろになった風情を、傷の匂いを、喪失の言語を、かろうじて享受することができる。