弟子にとにかく腹一杯くわせたがる師匠をもった落語家について書いた本で、満腹と空腹とでは意外にも、満腹のほうが苦しい、という記述にふれた時に、嗚呼、このひとは本当の空腹を知らないのだな、と嗟嘆をしたことが私にはある。なげかわしいのは、無知ではなく、本当の空腹を知っているという知識というよりは、私の身体知であり、空腹という言葉から喚起するイメージであり実感であり、その重量というものが、平均がどこいらに位置していたのかもわからないまでに、平均からずり落ちている、というそのことなのである。
けだし、物心ついてから実家を出るまで、私にとって私の胃袋とは苦痛の種でしかなかった。
それは胃から中心に、私の判断能力を鈍くさせて、胃酸だけになった器官による痛みによって、私のことを身動きをとらなくさせる宿痾であった。小学生に上がって、中学生に上がり、身体が痩身ながら人並みの骨格を備えていくにつれて、その空腹感がひたすら重たくなってゆく。それだけで精神の病をもつに至るのに必要充分というほどの栄養の不足であった。
空腹は心身の鎖である。元気の盛りの小学生だというのに、空腹によって指一本動かすのにも労力を費やすことを思い知らされ、通例のごとく書物に逃れようとしても、視線の先で活字を軽く、上滑りをさせていることしかできない。地べたに寝そべった態勢で、ひたすらに空腹という激痛を堪えて、時間が経過をするのをただただ待つ。それでなんとか眠ることができれば、成果としてはじゅうぶんだといえる――あまりにも痛くて大抵は、眠りに就くこともままならないのであったが。
それであるから、これは食べものの恨み、などという軽口を叩かれたくないものだが、私が初めてかかった星ヶ丘病院というところの、当時、まだ若かった三浦至という精神科医は、二十代の私がその往時のことを振り返って、
「そのころはとにかく、腹が減っていました」
とぽつりと零すと、そんなことは精神医学とはなにも関係がない、という風に失笑をしていたのには、二十代の当時にせよ、その不当さに驚かされた。
彼は私が統合失調症の母親のもとに育ち、教員から虐待を受けていたのだということを知っていたはずであるのに、私が虐待を受けている、という事実をなぜか信用をしなかった、信用をする必要が診断上、必要がないと判断をされた。虐待や、トラウマ、というものがあるということに、医師として懐疑的であったというか、そのようなことを扱うのが精神科医ではない、という自認があったのだろうと、そう思い返される――一字一句おぼえているが、彼の書くカルテにはこう書かれていた、「いじめられていたらしい。」。
私は統合失調症の母親に産まれ、妄想を吹聴され、当然のことながら、物心つく前より、食事など満足に与えられたことはなかった。率直にいって、狂った人間が、なぜ、子どもに食事を与えようと考えるというのだろう? そんな保証はもとより、どこにもなかったのだ。
だが食事がなかったことにより、目前の人間の悲惨さを、目前にしながら存在しないかのように扱う想像力のなさを、まかなうことはできたようだ。そのころの三浦至という精神科医をおもうと、理不尽さにさいなまれるのは、どうも、そうした想像力の機能を私がもっているがゆえらしいのである。