つまり、そもそもが「文学」というものが胡乱で、いかがわしいものとはおもわないか。
私は大いにおもう。
文学の文学性――それを心性にまで高揚させた言葉が、文学館の幟、文学賞のキャッチコピーなどには溢れている。「言葉の力」、「文学の力」、……こうした言葉に触れると、私は「想像の共同体」もかくや、とおもってしまう。
たしかに、もはや、文芸誌などというものは過去の権威に寄りかかっているしかないのは、わかりきっている。
自明である。
新人賞を受賞をし、芥川賞を受賞をして、文学館の講演会などに呼ばれて「言葉の力」、「文学の力」ということを唱えていれば、一人前の作家、ということになる。
だがそうした権威や制度のシステムに、レールに、反撥を仕掛けていくのが作家なるものの本分であったはずだ、と私はおもう。
その意味では批評的でなければ、ほんとうの意味での「文学的」であることなどは、もはやできない。知的でなければ、文学が生まれようもない、ということは――もちろんそれは権威に取り入るための知的さというものとはべつなのである――、どうあれ不自由なことである。