ふだん、意識の水面に浮かび上がってきたたよりなげな言葉などというものを用いて、私たちは交流をする。
数寄屋橋辺のフレンチで、やわらかな鴨肉をよく味わいつつ咀嚼をする味覚であれ、冬至からしばらく経って取り出し、たしかめる、外套のカシミア地に手をすべらせる触覚であれ、私たちはそれらを言語の活動によって、豊かたらしめる。またはその感覚の豊かさを、言語化をすることによって、再確認をする。それを、おもわずしていざるを得ないのがにんげんである。私はそう理解をしている。
だがひとたび人と人とが関わり合いをもち、発話をするその段になると、意識の水面に浮かぶ言語は果たして、自分の本心よりそれが成るものであったのか、たよりなげで、浮つき、げんに私たちのたいていは、たとえば親しかった人物と話せば話すほど、別れたあとになって、なにも話せていなかった、というさびしげなあの現実との直面をしいられる。
ときには私たちは、敵対する相手と向き合わなければならないこともある。
互いに反目する同士で発せられた、その言葉は、無力なままに終わることが多い。
そんな時に、私は、他者と他者との関係性とひしぎ合いのなかで、一体に正しさ、というものがどこにあるのか、その所在すらもが失われていく感覚へと陥る。正しいものなどないのだとする、言語活動そのものを手放すかのごときシニシズムとは、私は相容れない。または、自らを肯定的に捉えて自分は正しいのだ、といった倨傲を身につける、むなしさ。
どうあれひとは手前勝手であるほかないのだとしたのならば、ひとは、そのむなしさと付き合い続けていかなければならない、それは、一生涯において続いてゆかねばならない言語活動なのであったから、私のことを、途方に暮れさせる。
正しさをめぐる正しさ、そのようなものがあったのだとしても、目を凝らして考え出したのだとしても、私はそのような綺麗なものに付き合いたくはない、と感じるのだろう。
私は怯えているのだ、言語に、言葉に、詩に。そこに他者というものがひとたび導入されたとたんに、言語、言葉、詩は、私を私たらしめている基盤それ自体にかかわる、動揺をもたらし、精神の危難へと追いやる。
そして私は求めている、危難の崖っぷちに追い立てられた、言葉が言葉ではなく、悲鳴のごときもの、ついに音へと昇華をされる、そのせとぎわを。
私は言語で歌いたい。
ずっとそれを求めてきたのだったから。