本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

数寄屋橋の喫煙所でパンクスについて考える

 これは数寄屋橋公園を横に抜けて、インズの横手にいまもある喫煙所がまだ、コンテナ式ではなかったころの話なのだが、もうもうとけぶる吸い殻棄てに水をやり、地べたに転がっている煙草を一本、また一本と拾い集めながら棄ててやっている、アラサーくらいのロックス青年を見かけたことがあって、それが、今でも
「でも、どうなんだろう……」
 と判断をしかねるところがある。
 バッキバキにさ、ビックリマンシールみたいなのがぺたぺた貼られた、楽器の入ったケースなんて提げて、ファッションも統一されたクソダサイ、せいぜいが埼玉か千葉あたりから出てきましたみたいな三周おくれの「ロックス」のそれで固めて、ぼろぼろのデニムなんて着ちゃってて、下手すりゃ精神科病院のデイケア施設から飛び出てきたようにもみえる、そんな奴。
 結局私も、みちまった以上はしかたねえなあ、となにかに火がついたのをそんな方便でひた隠しながら、吸い殻を拾い集めていたのだったけれども、しかし、ロックス青年よそれでいいのか、とも思う。
 うーん。
 人がやらねえことを敢えてやる、という反撥心は、買える。買えるのだけれども、自分はロックなんてやっているけれども本当はイノセンスな優しさをもっていて、という風にも見られてしまうという自意識があんま、発達してねえ、アタマの悪い奴にも思われてしまう、というか、実際にそう、みえていた。アタマ悪いというか、アタマおかしい奴。
 そこら辺ってのは本当に微妙な問題なんだな。
 単に、間合いじゃ、ねえんだよ。
 微妙に、みさせてしまっている時点で、ショービジネス野郎としては、もう負けちゃっているんだよ。
 もちろん、二十歳すぎたらロックスもパンクスもやめ、という奴よりは、全然信用できる。本当だよ、うんと信用できる、そういうタイプのひとってのは。自分パンクスやっていた(る)んすよ、とか言いながら、八王子だか、地方市街地だかに隠棲をして、SNSでいいツラしているようなヤカラは、本当にひととしては信用できない、できっこないんだ、そんなもん。
 ただね、なんかやっているだけで、おっ、なんかやっているな、と絵になんねえといけねえ。
 銀座なんてとこになんでか出向いてきて、そいで、ちびたシケモクを拾って自主的ボランティアに励むしょぼくれロックくんは、その点、なかなか微妙なところをイッている。絵が、だらっと、崩れちまっているんだよ、スーパーの袋詰めのスペースだかに貼られてある、塗り絵コーナーみてえな絵になっちまっている。
 だから、やっぱり、駄目なんだろうな。ステージに立っても大した音はでねえ。
 駄目なんだろうな、って、ここで決めてかかっていてもしかたねえんだけれども。
 大変な世界だよ。いや、
 他人事で言ってんじゃなくて、結句、文字っ書きもショービジネスの世界だからね。そら、あたぼうよ。
 大変じゃねえと張り合いねえけど、こっちも、シケモク何本か拾っちまった身として、塗り絵にならねえよう、気をつけねぇとなんねえ、わけだな。

銀座の恋の物語

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