海辺の町で、海岸へと出る道を歩いていながら、あるいは繁華街の喧噪を逃れた宿で、毛布にくるまった瞬間にでもいいが、こうしている今もどこかで暴力は続いておりだれかがレイプをしているのだという、冷厳な事実が、しんと冷え切った、真っ暗な予感となってアタマのなかをふと遮蔽する、というよりも非常に冷たいそのつめたさで、一気に冷やしてしまうそんな時がないか。私はある。それは、私の統合失調症の母が昔に、レイプをされていたからであると思う。そんな時に、室外機の音や、近くの駅から聞こえる中央線が走り抜けて行く走行音が、ネオンが、ネオンのむこうの新宿区役所までもが、総て、メタリックに、レイプの冷たさによってひやされて、冷やされたその夜気をひとりの孤愁として背負う、自己愛的な詩想に、しかし自己愛的といってもだれも気づかぬ以上は自己愛的とも悟られることはけしてないそれに、私はおのが影をみつけて影踏みに勝ちでもしたかのように、しばらく感じ入っていることがある。