書きたてほやほやの自作の短編小説では、危篤状態になっても母親を見舞いに行かない選択をする、男の物語を書いたばかりだというのに、人生なんていうのはおもう通りにはいかないものだし、こちとら気分次第、分裂症、なんていっちゃなんねえ、滅茶苦茶で生きている。
シック・マザーが危篤に瀕していると、次姉から「LINE」を着信をして、翌日すぐに、老人ホームに、面会に行ったのは何故であったのか、その何故については、放り棄てられ、私が「放り棄てられ」と書くのであるからほかのだれであれ何故を知らない以上、そんなものはもう、この世界のどこにもなくなった。あるのは私ひとりの、どんなものでも見てやろうという闊達な好奇心だけ、なのだった。
統合失調症の母親のもとに育つというのは、今となってはいろいろな言い方があり、いろいろな受け皿があったものだが、私のころには、そんなものはなにもありはしない、ただ「気狂いの家」の「気狂いの息子」としてとなり、近所から白眼視をうけて、にっちもさっちもいかない窮乏をなんとか、生存をする、ということであった。
だがそんなことも、私のなかでの精神的な成長を経て、さらには死という物理的な、決定的な現象を前にしては、芥子粒のような何かのように感じられてしまう、そうあってはならないはずなのだったけれども。自分がなにをされた、自分があの時の怒りを今でも持っていたい、といったこととは無関係に、死という絶対は明確に、そこにあり、そのありありとした自明性を前にしては、どんな観念も、情動も、無力さであると、自覚をしいられる。
死へと向かう好奇心を携えて、糞尿の匂いがすでにしてする介護施設のロビーでスリッパを履いて、私は胸元にICレコーダーを欠かさず、母と面会をし、この記事を書く。そしてとても書き切れないと、また百枚の小説の構想としていくのであった。
そのころ私は、書きまくっていた。いくらでも文章が書ける季節のなかにあった。死を眼前にして、いくらでも文章を書こうとする、私がただ、いた。